経歴(詳細版)-profile-

須田こうへいは39歳、4歳の娘のパパ。子育て真っ最中!

埼玉県久喜市(鷲宮町)出身、神奈川県在住。

田園都市線(半蔵門線、東武線)の終点でもある久喜、のどかな田舎町に育ちました。
合併前の鷲宮町は今やアニメの「聖地巡礼」の舞台に。
東京の巣鴨学園(中学、高等学校)に進学し、片道二時間かけて通学したのも良き思い出です。
ふんどし姿での遠泳や真冬早朝に武道の稽古をするなど、古風で厳しい校風でした。
経営学を学び父の会社経営を支えたいとの想いから、理系タイプの文系志望。数学受験で早稲田大学商学部へと入学しました。
当時、商学部五大ゼミと言われた名門・坂野ゼミにて現代企業研究を学び、コンサルティング会社へと就職します。
大隈講堂のレリーフに須田幸平の名が刻まれています
大隈講堂のレリーフに須田幸平の名が刻まれています

会社経営から独立ベンチャーへ

コンサルティング会社での修行の後、地元へ戻って輸入車ディーラー店(VW)の取締役として会社経営の道へ。

(当時、販売店グループ・VW東京の社長は現・横浜市長の林文子さんでした)

若手経営者の集うJC(青年会議所)活動にも参加し、地域ボランティア活動・青少年育成活動に携わりました。

「地域と民間が主役の国づくり」の政治信念は、民間会社経営の自身の現場経験から生まれました。
会社経営では金融危機時、地銀の貸し剥がしにあい、あわや黒字倒産かという局面も身をもって経験。経済政策の失敗は国民の生活にこれほど影響を及ぼすのかと「政治の重み」を身を持って痛感しました。
(以後、経済政策の党であった「みんなの党」を支持し、後に第三極の立場で活動することになります。)
M&Aによる事業統合で危機を切り抜け、社員の生活を守った後、自分自身は全くのゼロベースから保険代理店を立ち上げ、現在も須田こうへいの後援会組織としてつながっています。
現・横浜市長と共に輸入車トップシェア(当時)を達成
現・横浜市長と共に輸入車トップシェア(当時)を達成

青雲の志で政治の道へ

政治の道を志した転機は「東日本大震災」です。

福島県双葉町の被災者の皆様が地元埼玉へ町ごと避難。その事態を目の当たりにして、必ずや「脱原発」を実現しなければいけないと政治使命を持つに至ります。
当時、第三極として橋下徹さんが立ち上げた「維新政治塾」の一期生として精力的に活動しました。
(元改革官僚の古賀茂明さんともこの時期に出会います)
政治的に「穏健保守~中道リベラル」、「改革はするが、戦争はしない」が信条である私は、石原氏の党との合併後、急激に右翼化した日本維新の会と距離を置き、「みんなの党政治塾」四期生として活動します。
政治塾で江田憲司さんの講話に大変感銘を受け、講義直後に江田事務所への「入門」を志願いたしました。
一年後、石原派が抜け、橋下徹さんと「維新の党」共同代表につかれた江田憲司さんに晴れて秘書として迎えられます。
「しがらみのない政治家しか本当の改革は出来ない」「基本政策と政治理念の一致を前提に、政権交代可能な改革一大勢力をつくる」という理念を、地域密着の活動を通じて草の根から広げてまいりました。
早朝6時から全駅でのクリーン活動、地域密着!
早朝6時から全駅でのクリーン活動、地域密着!

神奈川県政の改革に挑戦!

入所わずか三ヶ月で、江田憲司さんより公設秘書への抜擢を受け、2018年11月末の卒業まで四年間超支えてまいりました。

特別国家公務員である公設秘書は、市民の血税により給与の支払いを受ける公僕であり、地域にその恩返しをしなければいけないと思って活動してまいりました。
自治会では最年少役員を務め、青少年指導員として地域ボランティア・青少年育成活動を続けてまいりました。

現在、あおやぎ陽一郎衆議院議員秘書として旭区での活動に汗を流しつつ、

来る2019年4月には、神奈川県政において、「平成最後の年、人生最大の挑戦」にのぞみます。
神奈川県旭区は一人娘にとって将来、大事な「ふるさと」になります。全ては次世代の子どもたちのために、全力で改革に望みます。
草の根民主主義で、神奈川から日本を変える
政権交代可能な改革一大勢力をつくり、「まっとうな政治」を取り戻す。
小さなことからコツコツと、神奈川の明日(あした)に改革の種をまいてまいります。